「海外生活経験が及ぼす影響」に関する多くの研究結果によれば、海外生活を経験すると「柔軟性、創造性、思考力がアップする」ことが分かっています。
“multicultural engagement”—the extent to which they adapted to and learned about new cultures—predicted how “integratively complex” their thinking became.
2019年の夏休みを活用して、1ヵ月間のプチ海外生活を体験しに家族でタイのバンコクへやってきました。
そもそもなぜ?
自分自身も含めて家族で「グローバルマインド」を育みたいと思ったことがあります。日常的にグローバルマインドを育てることは今の日本の中でもできると思っています。が、同じ場所、同じ環境で暮らしていると見える景色がどうしても固定化してしまいやすく、「当たり前」や「常識」が自分達の中で出来上がっていき、マインドにおいても気づくと「枠」が出来上がってしまいやすいように感じています。
そうした「枠」を外して「グローバル」なマインドで世界を見るためには、日常と異なる環境下に身を置くことはとても大きな刺激になると考えたからです。
そして今回は「海外旅行」というよりも 「暮らすように滞在する」ことをテーマとしました。
「暮らす」というテーマを持つこと
「暮らす」というテーマを持つことで、海外を通り過ぎるのではなく、ほんの一時でもそこに根を下ろす感覚生まれてきます。
「郷に入っては郷に従え」
日常とは違う環境で、現地的な日常生活にチャレンジする。
自分達が暮らしている地域とは異なるエリアで現地的な日常生活するためには 、その地域に根差した生活の仕組みやシステムを理解し、活用する必要が出てきます。
その結果として、通りすぎるだけの感覚以上にその地域の文化や言語を意識し理解しようとするようになるわけです。
これは、日本という同じ国においても同じですよね。
例えば関東と関西とか。東京と沖縄とか。
違うエリアには大なり小なり、異なった慣習やシステムがあったりと、何かしらの違いが存在しているという意味では国内でも国外でも同じ。今までの自分の「当たり前」とは異なる、そのエリアにおける「当たり前」を理解し自分の生活の中に取り込んでいくことがその地域で「暮らす」という感覚には含まれる気がしています。
違いが大きいほど柔軟性、創造性、思考力が鍛えられる
海外の場合は、物理的に距離に加えて、ナショナリティや宗教観が異なることで、言葉や文化という違いが大きくなるということがあります。
この違いが大きければ大きいほど、私たちには大きなチャレンジが必要となります。
自分が今までもっていた「常識」や「当たり前」がいとも簡単に「非常識」や「当たり前ではない」ことになってしまうことが出てきますし、ほぼ無意識的にストレスなく送っていた日常生活、移動や買い物のようなことにすら、イチイチ確認や緊張などのストレスがかかってくることもあります。
些細なことかもしれませんが、挨拶1つとっても、いつもと同じように笑顔で「おはようございます」と挨拶をしても、言語が違う場所であれば「???」と不審な顔をされることだってあるかもしれませんし、挨拶することが日常ではない世界では見知らぬ人に声をかけるというその行動が訝しがられることだってあるわけです。
逆に、挨拶が当たり前ではない慣習の地域の方が、スーパーのレジの方ともフレンドリーに挨拶を交わすことが当たり前の地域に行けば、その方の挨拶をしないという「当たり前」は「失礼」な態度として認識されることもありますよね。
時としてこうした違いが多く存在する場所に身をおくことは、非常に多くのストレスを感じる経験ともなります。
しかし、ストレスがかかったり、不快な状況だからこそ、自分自身が心地良く、気持ちよく生活できる状況へと変化させるために、何が必要なのかを考え始めるのではないでしょうか。
また、「なんとなく」「無意識的」に過ごすことができない時間が増えれば増えるほど、そこには、多くの意識が生まれ、柔軟性、創造性、思考力が鍛えられるわけです。
異なることは当然なこと
そもそも異なる言語、異なる文化、異なることが沢山そこには存在する前提がある世界に身を置いていると、「異なることは当然なこと」ということへの理解が自然と進みます。
人はみんな自分と同じではない。
一方で全く同じではないけれど、同じところもある。
小さいころから当たり前にそうした感覚を持てる環境に身をおく経験はとても大切なことなのではないかと思います。
そして同じところと違うところがある中で、より多くのコミュニケーションを図ろうとする経験が、コミュニケーションツールとしての言語に対して、「相手と共通で会話ができる言語を覚えよう」 という意欲や、相手の行動の根っこにある「相手の文化や宗教観を学ぼう」という行動にも繋がるのではないでしょうか。
子ども達の遊び場
大人のように多くの「常識」や「当たり前」が存在しない子ども達の方が、実はこうした異言語、異文化の壁を越えていくのが上手かもしれません。
バンコクにあるキッズランドを訪れると、いろいろな言語のいろいろな人種の子ども達が走り回っていました。
そんな中で、子ども達はなんの躊躇もなく、遊びたいように遊び、時に喧嘩もします。
異なる言語で(笑)
そして、遊びながら、時に喧嘩をしながら、暗黙の了解ができあがったり、その場のルールを作りあげていたりします。
きっとそこには地元で「いつもの遊び場」の子もいれば、息子のように「たまたま来た遊び場」の子もいるでしょう。
家に帰れば、それぞれの親の持つ慣習や常識の中で育まれているはずです。
がその遊び場では、そうした慣習や常識の中の世界とは異なる世界が広がっていて、彼らは独自にその時のその場においてベストな状態を、お互いの柔軟性と創造性を発揮しながら創り上げているんです。
いろいろ違うけど、目指しているのは、
「楽しみたい」
「遊びたい」
というシンプルな目的。
お互い求めているものは同じだということを肌感覚で理解しているからなのかもしれません。
この点においては、慣習や常識が多い大人の方が、 相手とベストな世界を構築していくためには多くの努力と理解が必要になるかもしれませんね。
どうしたら「暮らすように」滞在できるのか?
なかなか家族皆で「暮らすように」滞在する海外旅行をするのは難しいと感じるかもしれません。
実際我が家も慣れるだけで1週間を費やしている感覚はあります。
でも、まずは「通り過ぎる」感覚ではなく「暮らす」という感覚でその国に1日でも2日でも滞在してみるだけでも、見えてくること、感じることが変わるのではないでしょうか。
そして1回で1ヵ月という時間を確保することが難しい場合は、複数回かけてその国に滞在してみるのもいいと思います。
「暮らす」感覚で現地に降り立った1回目と2回目では、見えてくる世界や感じられる感覚が変わってくると思いますし、過ごし方も変わってくると思います。
例えば お土産物のショッピングや観光地めぐりを省いて、いつも子ども達と公園に行っている方は、現地の公園や遊び場へ。
1人カフェ時間を取っている方は現地のカフェに立ち寄ってみる 。
お料理が好きな方は、宿泊をキッチン付きのコンドやアパートメントにして現地のスーパーへ足を運びお料理をしてみる。
違った場所で、生活を意識するとより一層違いが意識できたり、逆に同じ部分を意識しやすいくなることもあるかと思います。
一度「暮らすように」滞在する海外旅行、試してみてはいかがでしょうか。
著者プロフィール
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アパレル、ブライダル業界を経て、約8年間大手通信会社の人事総務業務に従事。
その後米国CCE,Inc.キャリアカウンセラーの資格を取得し独立。
また、パーソナルカラリスト、司会、MCなどの経験を活かし、女性支援プロジェクトに参画し、女性のためのスクールの企画運営に携わる。
2011年10月に新たな機会を得てライフスタイルを重視する生き方へシフトチェンジをし、2012年に大好きな沖縄へ移住。
2014年結婚し、2016年に男児を出産。
産後も自分のミッションに基づき、素晴らしい仲間と共に、仕事、ボランティア活動を通して世の中へ価値を届けることに尽力。
2019年”今の子ども達がリードする未来の地球は今よりも美しい世界”というビジョンの元、”地球となかよし”をテーマにプロジェクトを始動。
- 地球環境2020年12月5日そのまま捨てる?捨てない?
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